2011年3月27日日曜日

こころが動くとき

震災の傷跡をテレビなどで見るたびに、現実のこととは思えない衝撃をうけてしまいます。
その全貌は明らかになっておりませんが、推定被害総額は25兆円にも及ぶそうです。
阪神大震災でさえ10兆円規模だったそうですので被害の大きさは私の想像の及ぶところではありません。

多くの企業や著名人がたくさんの義援金や支援を発表してくださってます。
私個人では金額的には永遠に無理な額です。本当にすばらしく思います。

私自身は阪神大震災の時は関東で住んでいましたので、直後のことはいろんな方々に聞いたことでしかありません。実際にこの目にしたのも震災後1年以上経過したときのことでした。
その時でさえ『復興できるのか?』と疑問でした。

そこで神戸に行ってみることにしました。
ただ東へ向かって自転車であまり行ったことがないので道もわからないですし、思いたって準備し始めたのが9時をすぎてからですので、どこまでいけるか...

R250を一路東へ向かいました。出発してすぐにクロスバイクの方と信号待ちで一緒になりました。今日は赤穂から姫路城まで向かうそうで、もうすぐ単身赴任先で購入したロードバイクが納車されるそうです。京都でサイクリングうらやましいです。
少しのあいだですが、飾磨までたのしく並走させていただきました。

その後、市川をわたる新しい橋をこえて的形・大塩を抜け初の高砂です。
しかし車でしか走った事のない高砂、加古川、明石の道は路肩があまりにもせまくて信号も多く大変でした。雪までふってくるありさまで、『今度行くときは別のルートで』と心に硬く誓いました。

しかし明石大橋が眼下に見えるとなぜだかはわかりませんが心が自然と緩みます。


須磨についたのが12時30分ごろ、よるつもりでしたところにもプリントアウトした地図を自宅に忘れてきたので見つけることができないままに13時に...

はじめから13時に引き返すと決めてましたので、何一つ目的を実行できないまま帰路につきました。


帰り道は向かい風と信号ダッシュで使い果たして疲れた脚との戦いで、何とか家に着いたのは17時でした。まだまだですね!

目的は果たせませんでしたが、道行く人々の目は16年前のことはもう見る影さえない力づよいものでした。
『必ず復興できるときがくる』そう確信しました。

ただ、僕自身も絶望の淵をさまよったことがあります。そのとき見えた希望の光は友達や心ある人々の優しい心使いでした。

大きなことはできないと思いますが、少しでも元気や思いやりを届けたいと思います。

私の恩人であり、人生最大の師匠のBLOGよりすばらしい言葉をかりてきました。

「知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力をだそう。金がある奴は金を出そう。『自分は何にも出せないよ・・』っていう奴は元気出せ!」

この写真もそのブログより勝手に拝借

2011年3月20日日曜日

私のできること


未曾有の大災害が起こってから一週間以上が経過してます。
被災者のことを考えると日常をただ綴っていくのも憚られるので更新を自粛しておりました。

テレビやインターネットの情報から目を覆うような惨状と、決死の覚悟で原子力発電所の暴走を食い止めようと奮闘されている方々のことを思うと私も何か協力できることはないかと一生懸命考えてみるのですがたいしたこともできません。

テレビでも『無闇に行動すると逆に迷惑をかけるのでおやめください』と何度も言われていましたので、義援金をさせていただきました。

ただ、関西では対岸の火事のように、『火の粉は降りかかってこない』というような雰囲気もないわけではありません。その中で今感じている思いが緩みたくはないので、継続して復興までの長い道のりを少しでも共有させていただきたいと思います。
だから大地震発生以来節電に努め(コタツの電気も切ってます。)毎朝の日課の缶コーヒーを義援金に、自転車通勤の回数を増やして義援金にと小さいながらも行動にうつさせてもらいます。

物資も受け入れ態勢が整ってきたようですので、市が未使用のタオルや毛布 、下着などを支援物資としてうけて下さるそうなのでできる限りさせてもらおうと思ってます。

10年以上の歳月をかけて笑顔を取り戻した神戸のようにこのたび被災された方々に笑顔が戻る日ができるだけ早く訪れることができるように... 

僕もがんばっていきます。

2011年3月6日日曜日

カッコいい!




同じく smooth criminal


ついでにもう一つ